自分の価値観と常識を疑う
こんばんは!
優輝です(^.^)
ブログにお越しくださいりありがとうございます。
今日は、「自分の価値観と常識」についてのお話です。
自分の値観や常識って、もう自分にべったりと染みついちゃってる場合が多くて、これが意外と自分では意識出来なかったりするんですよね、当たり前すぎて。
だから、何かのきっかけだったり、人の言葉や情報によって、「ハッ」と気づいたり気づかされるパターンが多いように思います。
私も、最近気づかされたことがありまして。。。
私は小さいころ、友達を作るのが苦手で(自分から積極的に行くタイプではなかったので)、いつもポツンと一人でいることが多かったんですね。
当時の私は、それが普通というか、自分の性分、性質だったのでしょう、、全然気にしていないというか、一人でも自分では寂しくないし、あくまでも「普通」のことだと思っていたわけです。
でも、周りがすごく心配したんです。
学校の先生だったり、その先生が親に「~さんはいつも一人で寂しそうです、とか」いうもんですから、親もそりゃあ心配していました。
当の私は、なんでそんなことを言われたり心配されるのか?不思議でした。
だって、、私は自分なりに楽しいし、友達だっているのに(多分時々は遊んでいて、それで十分満足していたのだと思います。)
でも、周りは、常にだれかと一緒にいたり、特定の友達がいないことが「問題」だと思っていたようです。
遠足や学校行事で親が来た時などは、もう、、、大変でした。
レジャーシートの母親の隣でただ座っていたい私を、なんとか友達の輪に入らせたい母親が、あっちへ行け、友達のところへ行って混ざって遊んで来いと。。。追い出しにかかるんですね。
でも、私はここにいたいわけです。
行くまで徹底的に言われて、しぶしぶ行く・・・というのがパターンでした。
周りのお母さんたちも、母親に加勢して、みんなで遊んだほうが楽しいよ!いっておいで!なんて。。
そしていつからか、私の中で、1人でいるとみんなが心配する→1人でいると責められる→1人人でいることを見られるとダメみたい→1人人でいることはいけないことで、恥ずかしいことかもしれない→1人でいると同情されたり哀れにみられるのかも→同情されたくない、哀れで寂しい人と思われたくない→1人でいるところを見られちゃいけない→1人でいるところを見られないために誰かと一緒にいなければ、それが無理なら誰かと一緒のフリをしなくちゃいけない(その時だけでも)・・・・
と、子供の極端な部分も手伝って、どんどんエスカレートした結果、私独自の価値観が作られて行きました。
そして、それをずっと生きていました。
だから、それが私独自のものとは、すっかり忘れていたというか、人に言われるまで気が付かなかったんです。
今回、気が付くキッカケをくれた人には本当に感謝ですm(__)m
そして、気が付いて、根っこを掘り下げて行ったら、過去のこのストーリー(価値観が出来上がるまでの)にたどり着いたのです。
私はこの私にぴったりと張り付いて同化してしまっていた古い価値観を知ったとき、母親や大人の何気ない(おそらく子供のことを思っての行動)すり込みがこんなにまで子供に影響を及ぼし長い長い期間生き続けるものなのだ、、、ということに愕然としました。
そして、私がかつて、母親に刷り込まれて信じて自分のものとして自分に取り込んだこの「価値観」を私は、今度は自分の子供に対して、すり込もうとしていました。
そう、価値観のリレーのバトンを次へ(私の子供へ)とつなげようとしていたのです(無意識のうちにもう繋げてしまっている部分もあると思います)。
また愕然としました。
私は、息苦しくて不自由極まりない、この偏った価値観をまずは私が手放そう。。それがまず私に出来ることだと思うからです。
一人でいることが本当に悪い事なのか?
恥ずかしい事なのか?
みっともないことなのか?
不幸なことなのか?
一人でいることで本人が満足している。それが悪い事なのか?
一人で行動する子が本当にかわいそうな存在なのか? 一人でも行動できる子だ、、と見ることは出来ないのか?
・・・・・・
自分に染みついていて当たり前すぎて疑いもしない価値観や常識・・・これ、占星術的には月の分野です:月は幼少期を表し、その中で環境だったり、身近な親や大人からありとあらゆることを吸収していきます。それが繰り返されることで、自分のものとしていき、それがその人の基盤となるのです。
月は吸収し、繰り返すことで、真似ることで、こうした価値観や常識という自分独自の基盤を作り上げ、その基盤は、すべてにおいて、その人のすべてにおいて影響を及ぼしてきます。だって、基盤ですから。
例えば、何かを決めるときにも、この基盤(価値観、常識、前提)が根っこにあるので、それが、その人の現実に反映してきます。
親や大人から吸収してしまった古い価値観、、、これに縛られ、見張られ生きていくというのは、本当にしんどい、どんどんしんどくなっていきます。
その価値観を生きるということは、その制限の中でしか生きられない(もしずれたら、価値観のなかに収まる様に修正しなくちゃいけないので)
ここで、、、本当の自由とは?どんなものなのでしょう。。
自由に食べるとか、自由に出かけるとか、自由にやりたい放題振舞うとか、、、、それも確かに自由ですが、、、そういう自由とは違った「自由」・・・
それは、今、みずがめ座の時代と言われている、このみずがめ座の守護星「天王星」の自由に通ずるのではないでしょうか。
天王星の表す自由とは・・・自分の趣味、嗜好からさえも自由になっていくという「自由」。
自分の進化を止めている、古い価値観(埋め込まれた)や常識から自由になる、そういうものに囚われていた自分自身から自由になること。。。
そういう自由を求めて、その流れに乗っていけたら、、と思います。
☆☆☆
ちなみに、わたくし事なのですが、今、空を運行している「冥王星」が私の出生図の10ハウスの入り口(MC:目指すのゴール)あたりにいます。
冥王星は、「死と再生」「破壊と復活」を司る星です。
そして、その真逆にあるのが「IC」というポイントであり、それは、その人個人の軸となるような重要な場所(心の支え)を表しています。
私にとって、このICにも、(オポジションで)冥王星が絡んできているという事は、「死と再生」が影響してきている、という事でもあると思うのです。
私の古く、今まで信じ切って一体化していた価値観が「死」を迎えることで、新しい、私が選んだり、自分自身で作り上げる混じりっ気のない価値観=「再生」をあらわすのではないか、と、そうフト思ったりしております。
まずは、自分の価値観を疑ってみる事から始めてみようと思います。
それ、ほんとうですか?
それ、あなたをしばりつけていませんか?
不自由じゃありませんか?
息苦しくないですか?
☆☆☆
今日はこの辺で。
最後までお付き合いいただきありがとうございました!!
優輝






ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません