期待の裏側

こんにちは!

優輝です(^.^)

ブログにお越しくださりありがとうございます。

今日は、「期待」をテーマにお話ししたいと思います。

私は、この期待という言葉を、どちらかというと前向きな言葉として捉えていたのですが、最近、この期待の裏の顔?とでもいいましょうか。。
別の一面を見てしまったような気づきがありました。

私はあまり積極的な方ではなく、どちらかというと色々考えすぎて不安や心配を抱えて疲れてしまう体質、それゆえに、行動することに対して不安があったりして、結果、消極的な生き方をしてきたように思います。
もちろん、それだけが私なのではなく、別の面も多々あるのですが、私にとっての課題のようなものが、ここらへんにある様に感じています。

例えば、子供関係のイベントなどに出席するとき、、、憂鬱になるんです。あー行きたくないな、、、って数日前から気持ちが落ちてくるんです。
ちょっと連想ゲーム方式(笑)で自分に問うてみました↓

行くのを考えただけで憂鬱になる
なんで?
一緒に行く人もいないし、でも周りはもう仲良くなって集ってる人がほとんどだから、なんか一人ぼっちで情けないし、一人ぼっちが恥ずかしい
なるほど。じゃあどうしたいの?
今更ママ友も作れないし、せめて寂しい人って思われないように、孤独なのがバレないように上手くやり過ごしたい
どうやって?
堂々としていて、1人でも平気な風を装う(ここでは一人だけど、他の場所で充実してるから私。みたいな)
本当にそうしたいの?
したくないし、フリなんて疲れるからいやだけど、寂しい人って見られるのは耐えられないから
成功すると思う?
上手くやれば出来ると思う(寂しい人っていう事を悟られないように)。
堂々として平気なふりを上手く演じられればスマートにうまくその場(イベントなど)をきりぬけられるかもしれない
堂々としていて、自立してる人っぽくしていたら、魅力的に見えて誰かが話しかけてくるかもしれないし誰かが一緒にいてくれるかもしれない

↑これが(太字)私が期待していることです。
何言ってるんだ?全く意味不明だ!と言う人もいるかと思いますが、それこそが、染みついた価値観(人から見たら???みたいなことを本気で信じ込んでいるという)の恐ろしさなのだと思います。(本人は疑いもせずに真剣に信じているので)
そして、これこそが私を「憂鬱」な気分にさせていた原因だと気づきました。

私の「期待」の裏側にあったのは、、、
「あまり望ましくない状態の自分」を、なんとか隠そうとしたり周りによく見せようとする根性、執念のようなものだったのです。

望ましくない状態の自分とは、ママ友がいなくて寂しい自分。それゆえにイベントでは心細い思いをしている自分。イベント関係ではいつも一人で行動している自分。。
周りから見て寂しい人に見られてしまう自分。いわば、自分がイメージする自分像とかけ離れている自分です。
全部、この「望ましくない状態の自分」のせいにして、それを隠そうとしていたのです。

これを知って、衝撃だったのと同時に、ある種の「希望」みたいなものが見えてきたから不思議です。

正体が分かれば、怖くない。正体が分からなかったから翻弄され被害者になっていたのだと思います。

誰も私に声をかけてくれない、どうせ私は一人ですよ・・・また、平気なふりをしなくちゃいけない、、、みたいな被害者意識に。

でも、分かったことで、逆に力が抜けました。
こんな無茶な期待、こんな不自由な期待、こんな切ない期待を私はずっと自分に課してきていたのか。。。
そして、その期待を毎回裏切る自分を責めて責めて、、、ずっと責めて生きてきた。
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だったら・・・
もうこんな期待捨ててやる!って思いました。
私はこの「期待」のステージから完全に降りる選択をしようと思いました。

上手くできなくてもいい
寂しい人ってばれてもいい(だって実際そうだし)
寂しい人でも、ママ友がいない人でも、一人ぼっちな人でも、全部それは本当の事だから、平気なフリもしなくていいし、無理して堂々を装わなくたっていい!
誰も話しかけてくれなくたっていい(拗ねてないですよ(笑)
壁の花でポツンとなっちゃてもいい。そのせいで居心地が悪くたってしょうがないよ。それでもいい!そんな状態も許す!
周りが集っていても、無理して入らなくたっていい!入りたいと思ったら入ればいいだけ

全部期待を捨てた(イメージで)ら、胸がスーッとしました(笑)
どんだけ不自由な思考してたんだよ!って話ですよね。

どんだけ、視界が狭くなってたんだよ!って話ですよね。

もちろん、期待には、ポジティブな面もある(むしろその方が多いと思います)し、それによってパワーが湧いてきたり勇気が出てくることもたくさんあると思うのですが、今日私が書いたのは、「期待に押しつぶされる自分」「自分に過度の期待をしてがんじがらめの不自由な状態」のような意味での期待です。

最近はこういう古く根深いもの達からの解放みたいなことが、私の中で進んでいるように感じます。
その一環として、今回の期待の裏側(私にとっての期待の正体)に気づけたことで、かなり自由な感覚に近づけている自分がいます。

みなさんは、ご自分へ何か期待されていますか?
それは心地の良い期待ですか?
勇気や力が湧くような期待ですか?
それとも、根底に「あまり望ましくない状態の自分」はいませんか?

等身大の自分を「望まなしくない状態の自分」としていませんか?

私は無意識で、過剰な期待を自分にしてしまっていたようです。
人前で発表するときとかは、失敗は許されない、スラスラと人を惹きつけるようなスピーチをどこかで期待しているというか、そうじゃなくてはダメと思い込んでいるというか・・・(そんな手腕もないし、もともとの才能もないし、練習も何もしていないのに!)
実際に人前に立つと、極度に緊張するのは、その素晴らしいスピーチをしなくてはいけないというプレッシャーが強かったからかもしれない。
だから、やってみて、緊張でボロボロにになって、何を言ったのかすら覚えていないお粗末なスピーチだった時の落ち込み様は半端ないです。
落ち込んんで、自分を恥ずかしみ、責め、、、もう二度と恥をかきたくない、傷つきたくない・・・そうやって消極的になっていったように思います。
冷静に考えれば出来なくて当たり前なんです、それが実力なんです。。

そう、それが今の私の真の実力であって、それ以上でもそれ以下でもないんです。
だから、上手くできなくても、それが今の私のベスト(実力)だったってことなんです(このボロボロのスピーチが(;^ω^)

そう思うと、期待なんて私はしないようにしよう!って思ったんです。
後ろ向き発言?みたいに聞こえるかもしれませんが、自分的にはちょっと違うんです。
私は、その等身大の自分をまずは自分として迎え入れよう、受け入れよう、受容しようと思うんです。
自分を解き放つ、自由に生きる決断をするんです。
ガチガチな価値観や思い込みで、自分に過度な期待ばかりかけているから、おかしなことになっちゃう気がするんです。

今のママ友のいない自分を受け入れる。いなくてもいいし、いてもいい、欲しかったら頑張ればいいし、そこまで欲してなかったら一人でいればいい。自分で選べばいい。
イベントで一人ぼっちになってしまう自分を受け入れる。参加しただけでもえらい!そこは自分をほめよう!みたいに。
人前で緊張してしまう自分を受け入れる。緊張するものは仕方がない、緊張したっていい!
スピーチが下手糞な自分を受け入れる。下手でもともと、上手くなりたければ努力すればいいし、しなければ下手で当たりまえ。
全部自分で選ぶんです、自分の状態を。。

期待する前に、今の自分を堂々と生きること。今の自分がベストだったと認めてあげる事。受け入れてあげることが私には必要なのだと思います。

私の場合は、自分のイメージ像(こうあらねばとか、こうあって欲しいという願望の自分)と、実際の自分があまりにかけ離れていたから、まずは現状把握&現状受容が先!
膨らんだイメージではなく、自分としっかりと向き合ってこそわかる今の自分をしっかりと受け入れる事が大事なのだと思います。

これは、人それぞれ、段階があると思うので、自分としっかりと向き合っている方、期待してすがすがしく生きられる人はどんどん期待して成果をあげて行かれると思いますが。

私は、今、手放す段階なのだと思います。

そして、自分に期待しないように=今の自分を受けいれる寛大さを持つと、人にも過度な期待はしなくなるんじゃないかな。。
こうして欲しい、ああしてほしい!
してくれないとムカつく
期待に応えてくれないとがっかりする、

そして、期待を手放したら、期待から降りたら気楽に、自由にいきられるような感覚になりました。

自分の期待の裏側にある価値観(こうあるべき、あああるべき)や思い込み(こうしなくちゃ、ああしなくちゃ)・・・それによってする期待は不自由で息苦しく感じます。
そういう意味で、期待を手放したい。。。今日はそういうお話でした。

少し、伝わりずらかった部分もあるかもしれませんが、どなたか1人でも響く方がいらっしゃれば幸いです(⌒∇⌒)

☆☆☆
最後までお付き合いいただきあリがとうございます。

感謝を込めて
優輝

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Posted by 優輝